【ニュース解説】佐賀・伊万里の母娘死傷事件:外国人技能実習生の凶行と制度の闇

健気に咲くヒメジョオン

2025年7月26日夕方、佐賀県伊万里市の民家で、帰宅した母娘が侵入してきた男に襲われ、40歳女性が命を落とし、その母親も重傷を負うという、筆舌に尽くしがたい凶悪な事件が発生しました。この許されざる犯行の容疑者として逮捕されたのは、ベトナム国籍で技能実習生の24歳男性でした。

県警の調べによれば、容疑者は亡くなった女性から二度にわたって現金を脅し取った上で、ナイフで切りつけた疑いが持たれています。家の中には金品を物色した形跡が残されており、県警は他にも奪われたものがないか捜査を進めています。

事件当時、現場近くに住む81歳の女性が知人と話していると、亡くなった女性の母親が全身血だらけで駆け込み、「刺された」「娘をかばいきれんかった。娘が死んだ」と悲痛な叫び声をあげたといいます。知人女性が必死に止血にあたる中、不審な男が陰から様子をうかがっているのに気づき、近隣住民が駆け寄ると男は逃走。その後、ベトナム人容疑者の逮捕に至りました(2025年7月29日午前8時30分に読売新聞より)。

いかなる理由があろうとも、このような非道な行為は断じて許されるものではありません。罪を犯した者は、法の定めるところにより厳正に処罰されるべきです。被害に遭われた方々とそのご家族の苦しみは計り知れず、心からの哀悼の意を表します。

しかしながら、この悲惨な事件を深く掘り下げると、背後には日本の外国人技能実習制度が抱える根深い問題が横たわっていることも見えてきます。今回の事件を、その問題に目を向けるきっかけとすべきではないでしょうか。



ベトナム人技能実習生の「失踪」が多発する構造的な背景

今回の事件の容疑者が技能実習生であったという事実は、日本の外国人雇用、特に技能実習制度が抱える課題を浮き彫りにしています。なかでもベトナム人技能実習生の「失踪」は、他国籍の実習生と比べても高い水準で推移しており、その背景には看過できない構造的な問題が指摘されています。

最大の要因は、彼らが来日する前に背負わされる「多額の借金」です。多くのベトナム人実習生は、日本で働くために、現地の送り出し機関やブローカーに対して高額な手数料を支払う必要があります。その額は平均で80万円にも上るとされ、中には100万円以上を支払うケースも珍しくありません。これは、現地法で定められた適正な手数料をはるかに超える「中間搾取」の実態があるためです。

実習生は、この巨額な借金を返済するため、日本での高収入を強く期待して来日します。しかし、現実は厳しいものです。

  • 期待外れの低賃金: 日本の最低賃金水準での雇用や、税金、社会保険料、寮費などの控除により、手取りが月に10万円以下となることもあり、母国で背負った借金の返済に目処が立たず、経済的な絶望感を抱くことがあります。
  • 実習内容と契約の乖離: 事前に説明された仕事内容と実際の業務が大きく異なったり、技術習得を目的としていたはずが、単純労働ばかりを強いられたりすることで、来日前の期待とのギャップに苦しみます。
  • 劣悪な労働環境とハラスメント: 職場でのパワーハラスメントやセクシャルハラスメント、また言葉や文化の壁から孤立し、相談することもできずに追い詰められるケースも少なくありません。
  • 「稼ぎたい」という目的とのズレ: 多くの実習生は、技術習得よりも借金返済のためにとにかく「稼ぎたい」という強い目的意識を持って来日します。そのため、労働時間が短く残業が少ないことで手取りが減ると、失踪してより高収入な不法就労を選ぶ誘惑に駆られることがあります。

これらの要因が複合的に作用し、精神的に追い詰められた実習生が、借金返済のために不法就労に走ったり、あるいは詐欺グループの甘い言葉に乗せられて犯罪に巻き込まれたりする、という負の連鎖を生み出しているのです。


闇を生む「送り出し機関」と中間搾取の構造

ベトナムには、日本への技能実習生を送り出すための機関が多数存在します。中には適正な運営を行っている機関もありますが、一部の悪質な機関による中間搾取が長年の課題となっています。

特に問題視されるのは、実習生が日本へ来るまでの準備期間(ベトナムでの日本語学習や生活訓練など)にかかる費用として、寮費、食費、光熱費などを高額に徴収したり、現地のブローカーへの謝礼金が上乗せされたりすることで、実習生が来日前に莫大な借金を背負わされる構造です。この過度な金銭的負担は、単に不当であるだけでなく、実習生の人権を侵害し、失踪や犯罪に追い込む温床となっています。

さらに、一部の送り出し機関は、金銭的な搾取だけでなく、実習生に対して人権侵害とも言えるような厳しい制約を課すことがあります。例えば、妊娠や出産を禁止する、日本の労働組合への加入を禁じる、マスコミや労働基準監督署に実態を話すことを許さないといった、実習生の自由を奪い、外部との接触を遮断するようなルールが問題視されています。このような状況では、実習生が抱える問題が表面化しにくく、悪循環が続いてしまうのです。


技能実習制度の現在地と未来への展望

技能実習制度は、国際貢献と人材育成を目的とした建前を持ちながらも、実際には日本の人手不足を補う「労働力」として機能してきた側面が強く、今回の事件のように、そのひずみが顕在化しています。

こうした長年の課題を受けて、日本政府は技能実習制度に代わる新たな制度として「育成就労制度」の導入を進めています。この新制度は、外国人材の育成と確保をより明確な目的とし、実習生の転籍(職場変更)の柔軟化や日本語能力向上の支援などを通じて、より人権に配慮し、長期的な日本での定着を促すことを目指しています。

しかし、新たな制度が導入されても、これまでの送り出しや受け入れの体制がそのまま残ることで、中間搾取などの弊害が完全に解消されるかは依然として懸念されています。また、特定技能への移行試験の難易度など、制度の運用次第では、多くの外国人材が3年で帰国せざるを得ず、制度の目的とする「定着」に繋がらない可能性も考慮すべきでしょう。

今回の痛ましい事件を二度と起こさないためにも、私たち日本社会は、以下の点に真摯に取り組む必要があります。

  • 中間搾取の徹底排除: 送り出し機関や監理団体に対する監督を強化し、不当な手数料の徴収や人権侵害行為には厳正な罰則を科す。国際的な連携を通じて、悪質な機関を根絶するための仕組みを構築する。
  • 透明性の確保と情報公開: 実習生が来日前に支払う費用の内訳を明確にし、適正な範囲内であるか否かを実習生自身が確認できる仕組みを強化する。
  • 人権の保障と労働環境の抜本的改善: 実習生が安心して働き、生活できる労働環境を整備し、ハラスメントや不当な労働条件を徹底的に排除する。労働相談窓口の機能を強化し、実習生がいつでも安心して相談できる体制を整える。
  • 実習生への包括的なサポート: 来日後の日本語学習支援、生活相談、キャリアパスの提示など、実習生が日本で自立し、将来の選択肢を広げられるような包括的な支援を充実させる。
  • 優良な受け入れ体制の構築: 企業や監理団体は、母国での高額な借金を実習生に背負わせない優良な送り出し機関と連携し、実習生に対し、公正な労働条件と適切なサポートを保証する責任がある。

罪を犯した者は、その行為の重さに応じた処罰を受けるべきです。しかし同時に、今回の事件を単なる一個人の犯罪として片付けるのではなく、その背景にある構造的な問題に深く向き合い、より公正で人道的な外国人雇用制度を築き上げていくことが、私たち日本社会に課せられた喫緊の課題ではないでしょうか。