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日本を覆う不安の波紋:なぜ、彼らは「消える」のか?
「また失踪者が出た」「やっぱり外国人は信用できない」――。
日本で外国人材の失踪が報じられるたび、インターネットやSNS上には、このような言葉が溢れます。技能実習制度における失踪者の増加は、もはやニュースの定番となり、不法滞在中の外国人材が関与した事件が報じられるたびに、「外国人材は日本のルールを守らない」「国に迷惑をかけている」といった、感情的な声が世論を席巻するかのようです。不安や不信感が募るのも無理はありません。
もちろん、失踪という行為自体は日本の入管法に違反し、許されることではありません。しかし、その行為の背景に何があるのか、私たちは冷静に、そして多角的にその「なぜ」を考える必要があります。「悪いのは失踪した外国人材だ」という単純な構図に安住している限り、この問題はいつまでたっても解決できません。
人口減少社会に突入し、外国人材なしには経済活動の維持さえ困難になりつつある日本にとって、これは喫緊の、そして極めて重要な課題です。では、世界に目を向ければ、この問題にどう向き合っているのでしょうか。今回、日本と地理的・文化的に近い関係にある韓国と台湾の現状を徹底取材しました。その実情から、私たちが学ぶべき教訓を探ります。
隣国の現実:韓国「雇用許可制」の光と影
韓国にも、外国人労働者に関する問題は存在します。日本のような「技能実習制度」に直接的に対応する制度はありませんが、非熟練外国人労働者を受け入れるための**「雇用許可制(E-9ビザ)」**が2004年から導入されています。これは、国内の労働力不足を補う目的で、政府が労働者の送り出し国とMOU(了解覚書)を締結し、政府または公共機関が受け入れプロセスを管理することで、中間搾取や人権侵害を防止しようとするものです。
雇用許可制の下では、外国人労働者にも韓国人労働者と同様の労働関係法が適用され、人権が保障されることを目指しています。しかし、それでもなお、賃金未払いや人権侵害の問題は報告されており、例えば2024年1月から7月までの外国人労働者の賃金未払い規模が約700億ウォン(約70億円)に迫ったという報道もあります。
失踪者数に関する具体的な統計は、日本のように「技能実習生」という枠組みで直接比較できるデータは限られています。しかし、韓国政府は不法滞在者の数を減らす努力をしており、雇用許可制の導入により不法滞在者の割合は減少傾向にあるとされています。
韓国の雇用許可制の特徴は、政府の関与が強く、送り出し国との連携が制度の基盤となっている点です。これにより、日本のように「民間企業任せ」となりがちなあっせんの過程で生じる不正や高額な手数料を抑制しようとしています。しかし、現実には、それでもなお労働者の権利が完全に守られているわけではないという課題も浮き彫りになっています。
「失聯移工」という現実:台湾で何が起きているのか?
一方、台湾では、外国人労働者を**「移工(いこう)」**と呼びます。主に製造業、建設業、農業、漁業、そして日本の介護に当たる家庭介護といった分野で、彼らは台湾社会を支える不可欠な存在となっています。
台湾もまた、外国人労働者の「失踪」に頭を抱える国の一つです。台湾では、失踪した移工を**「失聯移工(しつれんいこう)」**と呼び、「連絡の取れない移工」という意味合いですが、その数は日本の比ではありません。近年では、毎年5万人を超える移工が失踪していると報じられ、直近のデータでは、約9万人近くの失聯移工が台湾に不法滞在していると推計されています。これは、台湾に在留する外国人労働者全体の約1割以上を占める驚くべき数字です。
なぜ、これほどの数の移工が姿を消してしまうのか。その背景には、日本と韓国にも共通する構造的問題と、台湾独自の事情が複雑に絡み合っていました。
日本と酷似する「失踪」の根本原因:多額の借金と劣悪な環境
取材を進める中で、韓国と台湾の失踪・不法滞在問題の根本にあるのは、日本の技能実習生失踪問題と驚くほど共通していることが浮き彫りになりました。
まず、挙げられるのは**「多額の借金」**です。多くの外国人労働者が、来日前(来日・来韓・来台前)に自国のブローカーに高額なあっせん料や手数料を支払い、最初から借金を背負った状態でやって来ます。この借金を返済するためには、何が何でも稼がなければなりません。しかし、いざ働き始めてみると、現実が想像をはるかに下回ることが少なくありません。
「月給は〇〇ドルと聞いていたのに、実際は半分だった」「週に1日は休みが取れるはずが、休みなしで働かされている」「給料が数ヶ月も滞納されている」――。
台湾で外国人労働者の支援に携わるNPO関係者は、眉をひそめながら語ります。劣悪な労働環境や待遇は、彼らを絶望に追いやる大きな要因です。特に、日本の介護職に当たる家庭介護の現場では、24時間体制での介護を強いられ、休憩時間さえまともに取れないケースも少なくないといいます。これは、韓国でも報告されている問題です。
さらに、一部の心ない雇用主による人権侵害やハラスメントも後を絶ちません。暴言や暴力、パスポートの取り上げ、行動の制限など、人間としての尊厳を傷つけられるような扱いを受けたとき、彼らは「逃げる」という選択肢しか見出せなくなるのです。
ブローカーによる中間搾取も深刻です。入国後も、給与の一部を不当に徴収されたり、契約内容を一方的に変更されたりするケースが散見されます。こうした不当な搾取から逃れるため、より条件の良い非合法な仕事に流れていく労働者も少なくありません。
「合法的な雇用主のもとで真面目に働いても、借金も返せず、母国への仕送りもままならない。それなら、例え不法でも、もっと稼げる場所へ行きたい」。ある失聯移工の切実な声が、彼らが置かれた窮状を物語っていました。
台湾・韓国の制度から日本が学ぶべき教訓
日本、韓国、台湾は、それぞれ異なる制度で外国人材を受け入れていますが、「失踪」という共通の課題に直面しています。しかし、両国の制度から、日本が学ぶべきヒントも隠されています。
1. 「労働力補填」という現実的な姿勢と政府の関与
韓国の雇用許可制や台湾の移工制度は、日本の技能実習制度が掲げる「国際貢献」や「技術移転」という建前とは異なり、明確に**「労働力補填」**を主眼としています。この現実的な姿勢は、制度設計において、ある種の割り切りを可能にしています。
特に韓国のように、政府が送り出し国とのMOUを締結し、公共機関が受け入れプロセスに深く関与することで、中間搾取の抑制を図る試みは、民間任せになりがちな日本の制度設計に一石を投じるものです。ブローカーの存在を完全に排除することは困難ですが、政府間連携を強化することで、労働者が来日前に背負う借金を減らす努力は、失踪問題の根本解決に繋がります。
2. 「人材の定着」を促す制度設計
台湾政府が近年打ち出した**「移工留才久用方案」のような政策は、日本にとって非常に示唆に富んでいます。これは、一定の条件(賃金や技能など)を満たした移工に対して、台湾での長期滞在や永住権取得の道を開くことで、「優秀な人材の定着」**を図るものです。
日本の技能実習制度が「3年または5年で帰国」を前提としているのに対し、台湾は「労働力」として認めた人材を長期的に活用しようという明確な意図があります。この「定着」を促す仕組みは、彼らにとって働く国での将来の展望を与え、失踪の抑止力となり得る可能性があります。日本においても、特定技能制度の拡充や、より明確な永住へのパスを示すことで、外国人材のモチベーションを高め、不法就労への流出を防ぐことができるはずです。
感情論を乗り越え、持続可能な外国人材政策へ
日本は、外国人材の受け入れにおいて、いまだに「一時的な労働力」「都合の良い存在」といった視点から抜け出せていない部分があるのではないでしょうか。
「失踪」やそれに伴う「事件」が報じられるたびに、外国人材全体への不信感が募り、あたかもすべての外国人材が日本のルールを破る存在であるかのような印象を与えてしまっています。しかし、韓国や台湾の事例が示唆するように、失踪問題の根底にあるのは、彼らが背負わされた借金、そして不当な労働環境・待遇という**「構造的な問題」**です。
日本が今後、持続可能な形で外国人材を受け入れ、共生社会を築いていくためには、感情的な議論のサイクルから抜け出し、以下の点について真剣に検討し、改善していく必要があります。
- 「借金漬け」を根絶する仕組みの構築: 送り出し機関と受け入れ機関の透明性を高め、労働者自身が多額の借金を背負うことなく来日できるような国際的な枠組みを強化すべきです。
- 労働環境・待遇の厳格な監督と罰則強化: 労働基準法違反や人権侵害に対する監督体制を強化し、違反企業への罰則を厳格化することで、不当な搾取を許さない社会を築く必要があります。
- 相談体制の拡充と多言語対応: 困り事を抱えた外国人材が、安心して相談できる窓口を増やすとともに、多言語での情報提供を徹底することで、孤立を防ぎ、彼らが適切な支援を受けられる環境を整備すべきです。
- 「共生」を前提とした長期的な視点: 韓国や台湾の事例のように、日本に貢献してくれる人材に対しては、長期的なキャリアパスや永住への道を開くなど、未来への希望を与える制度設計が不可欠です。それは、失踪防止だけでなく、優秀な人材の獲得・定着にも繋がります。
- 世論の冷静な理解を促す努力: メディアは、単なる失踪者の数を報じるだけでなく、その背景にある構造的問題や、外国人材が日本社会に貢献している実態を多角的に伝えることで、感情論に流されがちな世論の理解を深める役割を果たすべきです。
「外国人材がいなければ日本経済は回らない」という認識が広まりつつある今だからこそ、私たちは感情論のその先を見据え、真の「共生」とは何かを問い直す時期に来ています。韓国や台湾の事例は、私たちに冷静な視点と、未来に向けた具体的な改善策を考えるヒントを与えてくれています。
この問題に真摯に向き合うことこそが、少子高齢化が進む日本が、国際社会の中で持続可能な発展を遂げるための、唯一の道であると確信します。