高度専門職の配偶者、そのキャリアが直面する「見えない壁」

配偶者ビザの手続き、特定活動

日本が国際競争力を高める上で不可欠な高度専門職の受け入れ。彼らがその能力を最大限に発揮するためには、生活基盤の安定が不可欠であり、その中核をなすのが配偶者の生活とキャリアです。現行制度では、高度専門職の配偶者には「特定活動」ビザによる就労が認められていますが、その実態は「見えない壁」に阻まれ、多くの課題を抱えています。本稿では、配偶者のキャリアブランク問題、日本市場における就職の困難さ、そして企業が直面する課題と、それらを乗り越えるための先進的な取り組みについて考察します。



「特定活動」ビザの恩恵と現実のギャップ

高度専門職の配偶者に付与される「特定活動」ビザは、原則として就労制限がなく、日本の労働市場へのアクセスを可能にする点で画期的な制度です。これは、優秀な人材が日本での生活を選択する上で大きなインセンティブとなるはずでした。しかし、その実態は、ビザ取得が即座にキャリアの継続を意味するわけではないという厳しい現実を突きつけています。

多くの高度専門職の配偶者は、本国で高い専門性と豊富な職務経験を有しています。例えば、医療従事者、ITエンジニア、研究者、国際弁護士など、その専門性は多岐にわたります。しかし、日本への帯同を機に、彼らのキャリアは予期せぬ中断を強いられるケースが少なくありません。これは単なる「休職期間」ではなく、その後のキャリア形成に決定的な影響を及ぼす「キャリアブランク」となるのです。このブランクが長引けば長引くほど、元の専門性を活かせる職に就くことは困難になります。

特に顕著なのは、言語の壁日本独自の商習慣への不慣れです。ビジネスレベルの日本語を習得するには、多大な時間と労力がかかり、その間に専門知識やスキルが陳腐化するリスクを抱えます。英語での業務が可能な職種も増えてはいるものの、依然として多くの日本企業では日本語でのコミュニケーション能力が求められます。また、日本企業の採用プロセスや職場文化は独自の慣習が多く、これに順応すること自体が外国人にとっては高いハードルとなります。結果として、高度な専門性を持つ配偶者が、そのスキルに見合わない職種、あるいは非正規雇用に甘んじるケースが散見されます。これは、個人のキャリア形成にとってはもちろんのこと、日本社会全体にとっても、貴重な人材と知財の損失に他なりません。


日本市場における就職の壁と企業側の課題

「特定活動」ビザを持っていても、日本での就職活動は容易ではありません。企業側の視点で見ると、外国人材の採用には慎重にならざるを得ない複数の要因が存在します。

企業が最も懸念するのは、配偶者の日本語能力や日本企業文化への適応力です。いくら専門性が高くても、社内での円滑なコミュニケーションやチームワークが困難であれば、採用に踏み切ることは難しいと判断されがちです。また、海外での職務経験や学歴を日本の評価基準に照らし合わせて適切に評価することが難しいという課題もあります。これは、採用担当者の外国人雇用に関する知識不足や、評価基準の国際化の遅れに起因する側面もあります。

さらに、日本企業が抱える人材不足、特にDX人材グローバルビジネス推進人材へのニーズは高まる一方です。高度専門職の配偶者は、こうした分野で潜在的な貢献が期待できるはずです。しかし、既存の採用プロセスは、主に新卒一括採用や中途採用でも日本での職務経験を重視する傾向があり、海外からの人材を効果的に評価・採用する仕組みが十分に確立されていません。配偶者という立場上、転職回数が多いことや、帯同期間に応じた就労期間が限定的になる可能性も、企業にとっては採用に際しての懸念材料となりえます。

加えて、企業が配偶者の就労を支援する際に直面するのは、主に以下の点です。情報不足と支援体制の未整備、そして「身元保証」への漠然とした懸念です。配偶者のビザの種類や就労条件、雇用に関する法制度について、企業の人事担当者が十分に理解していないケースがあります。入管法上の手続きや社会保険の加入に関する知識不足から、雇用に二の足を踏む企業も少なくありません。また、配偶者に対する個別のキャリア支援や、就職先のマッチング支援といった体制が整っていない企業がほとんどです。実際には法的な問題は少ないものの、心理的なハードルとなることもあります。これらの課題は、企業にとって新たなコストやリソースの投入を意味し、特に中小企業にとっては、その負担が重く感じられることがあります。


「見えない壁」を乗り越える先進事例と社会への提言

一方で、高度専門職の定着と企業のグローバル化を真剣に考える企業の中には、配偶者の就労支援に積極的に取り組む動きが見られます。

先進的な企業では、社内公募制度の活用により、駐在員や高度専門職の配偶者向けに社内での短期プロジェクトやパートタイムの職務を公募するケースがあります。これにより、配偶者は日本での職務経験を積み、キャリアブランクを防ぎながら、企業文化への理解を深めることができます。また、人材紹介会社との連携を通じて、外国人材に特化したエージェントと組み、配偶者のスキルや経験に合った職務を紹介することで、企業は採用プロセスの負担を軽減し、配偶者も効率的に職探しを進められます。

さらに、日本語学習支援とネットワーキング機会の提供は、言語の壁を克服し、日本社会への適応を促す上で非常に有効です。配偶者向けに日本語学習プログラムを提供したり、他の外国人配偶者との交流会や情報交換の場を設ける企業もあります。専門家によるキャリアカウンセリングとメンタリングを通じて、配偶者のキャリアプランニングを支援し、就職活動における具体的なアドバイスを提供する企業も現れています。これらの取り組みはまだ一部の企業に限定されていますが、優秀な人材の定着には、彼らの家族、特に配偶者の生活基盤とキャリアの安定が不可欠であるという認識が広がりつつあることを示しています。

高度専門職の配偶者の就労問題は、個人の問題にとどまらず、日本の国際競争力、ひいては社会全体の活性化に関わる重要な課題です。この「見えない壁」を克服し、彼らが日本で真に活躍できる環境を整えるためには、社会全体での意識改革と制度の見直しが不可欠です。

具体的には、外国人材の総合的なキャリア支援の強化が求められます。現行のハローワーク等のサービスに加え、高度専門職の配偶者のような特定層に特化したキャリアカウンセリング、職務紹介、スキルアップ支援プログラムの拡充が急務です。また、企業への情報提供とインセンティブも不可欠です。企業が外国人配偶者の就労を支援する際の法的な注意点や、成功事例に関する情報提供を強化すべきです。同時に、配偶者雇用を積極的に行う企業への税制優遇や補助金などのインセンティブも検討に値します。

さらに重要なのは、海外での職務経験・学歴の評価基準の国際化です。海外でのキャリアを日本国内で正当に評価できるような、より国際的な評価基準の確立が急務です。これは、企業だけでなく、各業界団体や専門機関が連携して取り組むべき課題です。そして何よりも、多文化共生社会に向けた意識改革が不可欠です。企業、行政、そして社会全体が、多様なバックグラウンドを持つ人々が共に働くことの価値を理解し、受け入れる意識を醸成することが求められます。異文化理解のための研修や啓発活動も重要になります。

私たち外国人雇用に携わる者は、この問題の重要性を認識し、それぞれの立場から具体的な行動を起こす必要があります。行政機関は制度の改善を、企業は環境整備を、そして私たちメディアは情報発信を通じて、この「見えない壁」を打ち破る一助となるべきです。高度専門職とその配偶者が、日本で心置きなくその能力を発揮し、豊かな生活を送れる社会の実現に向けて、今こそ具体的な行動が求められています。


読者の皆様は、この問題に対してどのようなお考えをお持ちでしょうか。貴社での取り組みや、お困りの事例などございましたら、ぜひお聞かせください。