国境管理の最前線:不法残留と人道のはざまで揺れる日本

国境の標識のデザイン

近年、日本は外国人材を積極的に受け入れる一方で、不法残留(オーバーステイ)という深刻な問題に直面しています。政府は摘発・送還の強化に乗り出していますが、この動きは、人道的な配慮、国際的な法の精神、そして外国人材なしには立ち行かない日本経済の現実との間で、難しいバランスを要求しています。


影に潜む7万9千人:不法残留の現状と進む摘発強化

出入国在留管理庁(以下、入管庁)の最新データによれば、2024年1月1日時点で日本には約7万9千人の不法残留者がいるとされます。この数字は、コロナ禍で一時的に減少したものの、再び増加傾向に転じており、特に技能実習制度からの失踪者が相当な割合を占めていることが指摘されています。彼らの多くは、劣悪な労働環境や経済的困窮から逃れるため、あるいは正規の在留資格を得られずに不法残留に陥るケースが後を絶ちません。

これに対し、入管庁は「送還忌避者対策」を喫緊の課題と位置づけ、摘発と送還を一層強化する方針を打ち出しています。2023年6月に施行された改正出入国管理及び難民認定法では、退去強制令書が出されたにもかかわらず送還を拒否する者に対し、刑事罰を科すことが可能となりました。また、第三国への送還の可能性を探る動きや、収容の長期化を避けるための「監理措置」制度の導入など、多角的なアプローチが試みられています。これは、不法滞在を許さないという国の強いメッセージであり、法執行の厳格化を求める世論に応えるものです。

「人権」と「国境」の狭間:問われる日本の覚悟

しかし、こうした摘発強化の動きは、常に人道的な配慮との間で大きな葛藤を生んでいます。長年にわたり日本で生活し、社会に根を張る不法残留者の中には、日本で生まれ育った子どもたちや、病気、高齢などの理由で本国への帰還が極めて困難な人々も存在します。彼らを一律に送還することは、家族の分断や深刻な人権侵害につながる可能性があり、国際社会からの厳しい視線が注がれています。

実際に、国連の自由権規約委員会や拷問等禁止委員会は、日本の長期収容慣行や、難民認定申請中の送還措置について、たびたび懸念を表明してきました。国際人権法が定める「ノン・ルフールマン原則」(送還によって生命や自由が脅かされるおそれのある国へ送還してはならない原則)は、個人の尊厳と権利を保障する上で極めて重要な原則です。この原則に照らし合わせれば、入管当局は個別の事情を十分に深く掘り下げ、人道的な観点から送還の是非を慎重に判断する重い責任を負っています。

世界の潮流と日本の針路:国際法との比較

目を海外に転じると、主要な先進国における不法滞在者への対応は多様性に富んでいます。欧米諸国では、過去に正規化プログラム(アムネスティ)を実施し、一定の条件を満たす不法滞在者に合法的な滞在資格を付与することで、社会の安定化や労働力の確保を図った例があります。一方で、近年は厳格な送還政策を維持しつつ、不法滞在者への罰則を強化する傾向も見られます。

各国に共通するのは、「不法滞在は許されない」という大原則を堅持しつつも、人道的な配慮、社会への統合、そして国家の安全保障という、ともすれば相反する複数の要素をいかにバランスさせるかという点で苦慮している現実です。

岐路に立つ日本:共生社会への道筋

日本が直面する課題は、単に不法残留者の数を減らすという単純な目標に留まりません。少子高齢化と労働力不足が加速する中、日本経済は外国人材の貢献なしには成り立ちません。このような状況下で、いかにして適正な外国人材を迎え入れ、彼らが安心して働き、生活できる環境を整備するかが、喫緊の課題として問われています。

入管当局は、送還の厳格化だけでなく、外国人材の受け入れ制度そのものの改善、適正な労働環境の確保、そして困窮する外国人へのきめ細やかな支援といった多角的な施策を並行して推進する必要があります。不法残留の根本原因を究明し、制度の抜け穴を塞ぐとともに、正規の在留資格を持つ外国人が孤立することなく、地域社会に溶け込めるような支援体制の構築もまた不可欠です。

外国人雇用に関わる企業、登録支援機関、監理団体、行政書士、そして入管職員といったすべての関係者が、この複雑な問題に対し、それぞれの専門性と立場から積極的に関与し、「真の意味での多文化共生社会の実現」という共通のゴールに向かって知恵を出し合うことこそが、今後の日本の外国人政策の成否を決定づける鍵となるでしょう。